七十二候では「鱖魚群(さけのうおむらがる)」となりました。鱖魚(けつぎょ)は中国で高級魚として知られるスズキ科の淡水魚ですが、日本にはいない魚なので、同じように川を群れて遡上(そじょう)する鮭をあてて、日本では鱖魚もサケと読ませています。
とはいえ、鮭の遡上は9月から始まっていて、12月はそろそろ終わりの時期です。前回、「熊蟄穴」でも書きましたように、北海道では冬眠前の大事な栄養源でもありますが、すでに熊も眠りについています。
おにぎりの具といえば梅干し?鮭?どれかひとつと言われれば、やっぱり鮭のおにぎりがいちばん好きかもしれません。美味しい鮭と炊きたてのご飯があれば、それだけでご馳走に感じます。朝ごはんに、お弁当に、おにぎりに、夕食に。日本人の好きな魚の1位は鮭、2位は鮪だそうです。みなさまはいかがでしょうか?
東北ではサケ、関東ではシャケ、北海道ではアキアジ。江戸っ子揃いのわが家では、もっぱらシャケと言っていたようにおもいます。美味しい生鮭が出回るのは秋以降。そんなわけで、鮭そのものは季語としても秋に分類されていますが、保存食の「荒巻鮭(あらまきざけ)」が出回るのは年末です。
「荒巻鮭」は内臓をとりのぞいて塩漬けにした伝統的な保存食です。秋に捕った鮭を塩漬けにして寝かせ、洗って日干しする期間を経て、ちょうどできあがったものが年末には江戸に届くということもあって、江戸時代には年末年始の贈答品として、庶民の間にも出回るようになりました。災いを避け(鮭)るとして歳神様のお供えにもなり、卵のイクラは子孫繁栄の象徴としておめでたいものとなりました。
美術の教科書に出てくる高橋由一の有名な『鮭』は明治初期に、油絵でリアリティのあるものを描いたことで知られる絵ですが、明治に入るとさらに輸送が発展し、全国的なブームになっていったようです。一方、鮭の獲れない関西では、脂の乗った塩鰤(しおぶり)を「年魚」「年取り魚」として、年末年始のご馳走としてきました。どちらにしても魚が美味しい季節です。
「荒巻」の意味は、塩漬けの際に荒い藁のむしろで巻いたためですが、その後、新年を迎えるおめでたいものとして、「新巻」の字をあてるようになったのだとか。私の子どもの頃の記憶は「荒巻」でした。毎年、年末になると、必ず父が築地に行って、幼馴染みの床屋で髪をさっぱり切ってもらい、大きな荒巻鮭を一本、買って帰ってきて、家の柱にぶら下げる、というのが恒例行事でした。
当時はなぜこれを「荒巻」と呼ぶのだろう、と不思議に思っていましたが、正月になるとだんだん削ぎ取られていく赤い身の生々しさや、大きく口を開けた鮭の強そうな顔はいかにも荒々しく、子どもながらにしげしげと眺めていたのを思い出します。その後、鮭を丸ごと一本、見ることはなくなってしまいましたが、冷凍や真空パックなどが発達した今では懐かしい昭和の風景です。
日本で生まれた鮭は4〜6年後に川に戻ってきて産卵しますが、日本の河川に帰ってくる現在の鮭は自然に産卵することはほとんどなく、河口付近で捕獲し、人工的に孵化させて、稚魚にしてから放流させているのが現状です。毎年、大量の放流が行われているにもかかわらず、日本への回帰率は年々、下がってきており、鮭は全国的に不漁続き。日本の鮭の漁獲量はここ20年で、4分の1以下になっています。
その原因と考えられているのが、気候変動や温暖化の影響です。鮭の稚魚は春に川を下って日本沿岸を離れたあと、栄養豊富なオホーツク海に移動して大きくなり、その後、北大西洋、ベーリング海、アラスカ湾を季節ごとに回遊し、たくましくなって戻ってきますが、鮭の大幅な減少には、このオホーツク海の海氷の消失が関係しているのではないかといわれています。鮭は低い水温を好むため、水温があがると幼魚が十分に育たなくなったり、オホーツク海の海流が弱まることで、豊富な養分が越冬にいく北大西洋に流れなくなったりする、などの原因が考えられています。
鮭の身が赤いのもオキアミ、エビなどの甲殻類を食べているためで、その甲殻類が食べているのはプランクトンです。プランクトンは、藻類を食べています。アスタキサンチンという赤い色素はその藻類に含まれ、強力な抗酸化作用を持つ成分として注目されています。
イクラが赤いのも、浅瀬で紫外線を受けやすい卵を守るために、産卵前のメスが体内のアスタキサンチンを送り込むのだとか。当たり前のように口にしている鮭ですが、微生物から始まるたくさん海のいのちをいただいているのだとあらためて考えさせられます。
鮭だけでなく、脂が乗った冬の魚が総じて美味しいことはみなさまご存知の通り。七十二候は陸の動植物や天気をとりあげているものがほとんどですが、「鱖魚群(さけのうおむらがる)」は豊かな海の恵みを感じさせてくれる一候です。
文責・高月美樹
出典・暦生活