七十二候は「楓蔦黄(もみじつたきばむ)」を迎え、いよいよ紅葉シーズンに入りました。
紅葉といえば秋というイメージですが、紅葉は樹木たちが自ら光合成をやめ、休眠を始めた最初の姿であり、樹木たちが冬に入ったともいえます。紅葉は立冬を迎えると一気に進んでいきますが、今はまだほんの始まりの時期。
山でちょうど今、紅葉のトップを切っているのは、ツタウルシ(蔦漆)やヤマウルシ(山漆)です。ほかの木々がまだ緑のうちに真っ赤に紅葉するので、ウルシ科の植物の所在がよくわかる季節です。とくにツタウルシは樹木に絡みついて這い上がるので、あちらこちらで木の幹が燃えているような不思議な光景が見られます。とても美しいのでつい触りたくなりますが、触ると皮膚がかぶれますので、眺めるのみです。
森の中には瑠璃色の玉をつけた真っ赤な枝が落ちています。クサギの実です。
ところで「山粧(よそお)う」という季語は、四季をあらわす「山笑う、山滴る、山粧う、山眠る」のひとつで、日本の秋を象徴する言葉として使われていますが、この言葉は日本人ではなく、中国の画家、郭熙(かくき)の詩からとったものです。
中国南宋時代の儒学者、呂祖謙(りょそけん)が編纂した『臥遊録(がゆうろく)』や、郭熙(かくき)の子、郭思(かくし)が編纂した山水画論『林泉高致(りんせんこうち)』に収められている以下の詩が元になっています。
春山淡冶にして笑うが如く、
夏山蒼翠にして滴るが如く、
秋山明浄にして粧うが如く、
冬山惨淡として眠るが如く
──『臥遊録』
画家が山を描くときの心得として、「春は山が笑うが如く、夏は滴るが如く、秋は粧うが如く、冬は眠るが如く描くのがよい」としたものです。いわば絵の極意として書かれたものでしたが、この詩は日本の文人たちに古くから愛誦され、日本全国、山と川に恵まれた日本の四季を端的に表現できる便利な季語として、すっかり定着して今日に至っています。
夏には緑一色だった山がだんだん色づいてくると、その山の植生の豊かさがはっきりとわかります。黄、橙、辛子色、赤、紫、その複雑さはしばしば錦の織物に例えられますが、日本はイロハモミジやヤマモミジをはじめとするカエデの種類が他国に比べて圧倒的に多いというだけでなく、紅葉、黄葉する植物がたくさんあるためです。
真っ赤に紅葉することが名前の由来になったニシキギ(錦木)、ヤマボウシ(山法師)、コナラ、ケヤキ、ハゼノキなどのウルシの仲間や、ナツハゼ、ドウダンツツジ(灯台躑躅)などのツツジの仲間、黄葉が美しいのはクロモジなどのクスノキの仲間、カツラやダンコウバイ、クヌギ、カラマツ、イチョウなど数えきれないほどあります。
前回、初冬の時雨(しぐれ)が紅葉を一層、鮮やかに染めるのだと書きましたが、その逆に陽射しを浴びて煌めく紅葉をさす「照葉(てりは)」という季語もあります。西日に照らされると眩しいほど輝いて、落日の空が神々しく感じられる日があります。雨に濡れる紅葉もよし、照り映える紅葉もよし。紅葉シーズンは美しく、豊かな日本を目で味わえるとき。
日本の11月は「小春」と呼ばれるようにぽかぽかとした晴れの日も多く、紅葉は日中の天気がよく、夜の冷気が増すほど鮮やかになります。この寒暖の差が少ない年は鮮やかな紅葉が見られないまま終わってしまいます。めりはりがないと、なんでもぼんやりしてしまうものですね。今年はどうなるでしょうか。
「経霜楓葉紅」という禅語があります。「霜を経て楓葉(ふうよう)紅(くれない)なり」。楓の葉が厳しい霜を経て真っ赤に紅葉するように、人も苦難を経験することによって深みを増し、見事な人物になっていくという意味です。冬野菜も、寒いほど甘味を増して美味しくなります。
文責・高月美樹