二十四節気は雨水へ入りました。雨水の初候は「土脉潤起(つちのしょううるおいおこる)」で、毎年2月19日から2月23日頃にあたります。
暦便覧では「陽気地上に発し、雪氷とけて雨水となれば也」とあります。凍てついた大地がゆるんで、解けていくことを凍解(いてどけ)といいます。しとしとと降っては止む春時雨(はるしぐれ)の季節の到来です。
土がやわらかくなると、土中で眠むっていたくさぐさの種や微生物たちが一斉に目をさまし、はっきりと目には見えなくても、ひしめきあう命のにぎわいが気配として感じられます。
雪が降っても淡雪になり、寒の戻りで霜もみられるころですが、日中の気温が上がるとその霜も解け、凍土(いてつち)は日毎に湿り気を帯び、生気を取り戻していきます。
春の雪解け水を「雪代(ゆきしろ)」、「雪汁(ゆきしる)」といいます。雪が解け始めると川の水温は一気に下がり、ごうごうと音を立てて豊かに流れ出します。
この力強い音が春の音です。
時に急な気温上昇によって激流となり、災害をもたらすような洪水になる場合は春出水(はるでみず)。川や海が白く濁る様子は「雪濁(ゆきにご)り」といいます。
「大根雪汁」はだし汁に大根おろしを入れて煮立て、とろみをつけた白味噌仕立てのお椀。江戸時代の料理本『万宝料理秘密箱』にも掲載されている伝統的な料理です。胃腸が疲れているときにもおすすめの一品です。
山の養分をたっぷり含んだ雪解け水は「蘇りの水」ともいわれ、実際に種子の発芽を促進させ、鶏の産卵率を高めるなど、あらゆる動植物の成長を活性化することが証明されています。
「万物生(ばんぶつしょう)」はありとあらゆるものに新たな命を与える春の雨のこと。大地をうるおし、地中の虫を目覚めさせ、ものの芽を育むので、この名があります。
春は雨の季節。雨が降る度に、確実に春がやってきます。「春雨じゃ、濡れていこう」という歌舞伎の台詞は誰でもご存知と思いますが、たとえ雨が降っても暗くはならず、明るい感じがする春時雨(はるしぐれ)。春の雨は強くはならず、パラパラと降ってはやんでしまう優しい雨です。
雪を解かす暖かい雨は雪解雨(ゆきげあめ)、芽吹きを促す暖かい雨は暖雨(だんう)、慈雨(じう)。糸のように雨脚が細く、白いときは「春の糸」など、さまざまな呼び名があります。
雨が降る度に気温があがり、土が湿り気を含み出すので、節気の雨水は農事の準備を始める目安とされてきました。大地の静かな脈動、希望に満ちた土のうるおい。陽光を浴びて、てらてらと眩しく光るぬかるみや、足元を濡らす泥にさえ喜びを感じます。
「春の土」には、さまざまな子季語があります。土の春、土恋し、土現る、土匂う、春の泥、春泥(しゅんでい)。春は土や泥を見ることも楽しみのひとつです。
遠くにみえる雪間の土が紫にみえるのも、思わず目を細めてしまう美しい光景です。まだらに解けていく雪と土の様子も趣深く、日当たりの違いや植生の違いがよくわかる季節です。
樹木の周囲だけ、ぽっかりと深い穴があいたように雪が溶ける現象を季語では「木の根明(あ)く」といいます。ブナやシラカバなど、大量の水分を吸い上げる樹木で多くみられ、根から吸い上げる土中の水が外気よりも温かいため、周囲の雪がとけていくというしくみです。「根明き」「雪根開き」ともいい、春の兆しを感じるなんとも美しい自然現象です。
暦生活に掲載している七十二候は江戸時代、渋川春海らが日本の風土に合わせて改良した「本朝七十二候」と呼ばれる暦です。そのため「雨水」の第一候は「土脉潤い起こる」になっていますが、その前に使われていた宣明暦では「獺魚(だつうお)を祭る」でした。
出典は紀元前(前漢時代)の『礼記月令』にあり、この書物から多くの記述が今日の七十二候にとり入れられています。
獺(だつ)とは、カワウソのこと。春になると嬉々として漁を始めるカワウソは獲った魚をすぐには食べず、お供え物のように岸辺に並べる習性がありました。日本全国の川に生息していたカワウソは絶滅しましたが、かつてはどこでも見られる春の景であり、人々はカワウソが魚を並べるのを見て、春を知ったのです。
ですので「獺祭」は中国のものというわけではなく、日本でも実際に目にすることができるものでした。
「獺祭」の意味はその後、転じて、詩や文を作る際に書物を散らかすことをさすようになり、正岡子規は自らを「獺祭書屋主人」と号していました。また現在も画家が好きなものをあれこれ並べた静物画を「獺祭図」と呼んだりします。
山口県岩国の名酒「獺祭」は、カワウソが子どもを追いかけてきたという土地に伝えられる逸話があったことと、斬新な酒造りをめざすにあたり、文学界に大きな革命を起こした正岡子規にあやかって命名された日本酒です。その心意気通り、今では大人気の日本酒になりました。
写真提供:高月美樹
出典:暦生活