いよいよ年末、第六十五候「麋角解(さわしかつのおつる)」をむかえました。
「麋」を「おおしか」と読ませているので、鹿だと思われることが多いのですが、ニホンジカが角を落とすのは春になってからです。ちょうど冬至の頃に角を落とす動物は、「麋鹿(ミールー)」という大型のシカです。中国の絶滅危惧種で、昔の日本では四不像(シフゾウ)と呼ばれる伝説の珍獣とされていました。
四不像という不思議な名前は「鹿のような角を持つが鹿ではなく、牛のような蹄を持つが牛ではなく、馬のような顔を持つが馬ではなく、驢馬(ろば)のような尾を持つが驢馬ではない」ということからつけられた名前で、当時は伝説の神獣という認識でしたが、実際にシフゾウは存在します。
野生のシフゾウは19世紀に一度、絶滅しましたが、ヨーロッパで飼育されていたシフゾウがわずかに生き残り、その後、繁殖に成功して、各国の動物園に送られたり、中国の保護区に放たれたりするなどして、現在は五千頭まで回復しているそうです。日本には多摩動物公園、熊本市動物公園、安佐動物公園などにいて、ひそかな人気を集めています。
詳しい生態はわかっていませんが、かつては中国の北部から中部の湿地や沼地で暮らしていたらしく、水生植物を好んで食べていたため、水中やぬかるみでも歩けるように牛のような大きな蹄になったと考えられています。実際に動物園のシフゾウたちも水浴びが大好きなようです。
ニホンジカの平均体重は45〜100キロですが、シフゾウの体重は150~200キロとかなり大型で、見事な角を持っています。ですので、麋を「おおしか」と読んだのもなるほどとおもいます。記録によると3年前、安佐動物公園のシフゾウの角が落ちたのが、ちょうど12月26日でした。他の個体も毎年、年末年始には落角しているようです。
中国伝来の七十二候は日本の風土に合わせて度々、改変されてきましたので、違和感のあるものはほとんどないのですが、途中で日本にふさわしい事象に替えるチャンスが何度もあったにもかかわらず、なぜ日本にいない生き物をそのまま残したのかはまったくの謎です。鹿を神の使いとする日本の信仰とも関係しているのかもしれませんし、あえて伝説上の生物を残したのかもしれません。
森の中で、突然、鹿と出会うことがあります。大きな角をまっすぐに向けて、静かにこちらを見つめ、微動だにしない姿はまさに森の主。突然、神に射竦められたかのように、こちらも固まってしまうのですが、やがて視線をはずし、静かに去っていった後も、なにか特別な存在、神聖なものに出会ったというドキドキと余韻がいつまでも残ります。
これは冬の森で出会った鹿の亡骸です。真っ白な骨になってもなお神々しい鹿の美しい骨格と立派な角に、仲間としばし見入りました。鹿の角はお守りや魔除けとして用いられてきたそうです。
生命樹の下に鹿が描かれている図をどこかでご覧になったことがあるのではないかと思いますが、大きな枝のような角を持つ鹿は西洋でも古くから生命樹と重ねられ、天地創造や復活のシンボルとされてきました。生命樹の左右に鹿を配した「鹿草木の図」はペルシャを通じて正倉院の御物にも登場していますし、有名な『春日鹿曼荼羅図』では鹿の背に立てた榊の木の枝に仏や菩薩が描かれています。
ところで、中国の物語に神獣として登場する四不像は「麒麟の頭を持ち、龍の体をして、獬豸(かいち)の尾を持つ」とされています。では龍は、といえば「鹿の角、牛の耳、蛇の身体、虎の手の平、鷹の爪」ですし、麒麟(きりん)といえば「龍の頭、鹿の身体、牛の尾、馬の蹄」です。
神獣は色々な動物の特徴が混ざり合った空想上の生き物で、そのどれにも鹿の要素が混ざっています。こうしたことからも太古の時代から鹿が神聖視されていたことが伺えます。四不像の詳細はよくわかりませんが、麒麟についてはこのような性格だといわれています。
「いつもとても穏やかで優しく、生きた草は決して食べず、枯れた草だけを食み、歩くときは植物や虫を踏むことを嫌う。何よりも平和を愛しているが、いざとなれば闘うことも厭わない。麒麟は世の中がよい方向に変わるときや、秀でた人物が顕れるときに顕れる」
神獣はすべての人々が心の中で願うユートピアの中から生まれ、力のある動物を寄せ集め、人々がこうでありたいという理想の姿や憧れなどが溶け込んだアーキタイプのような存在です。
出典:暦生活