二十四節気と七十二候
七十二候は雨水の末候「草木萠動(そうもくめばえいずる)」に入りました。この言葉の響き、好きな方、多いのではないでしょうか。
アスファルトのわずかな隙間、電柱の根元、埃が溜まったような階段の隅など、至るところに萌え出してくる小さなくさぐさ。よくもまあ、こんなところに、と思うような場所で懸命に生きようとしている姿をみると、なんとも愛おしく、優しい気持ちになります。
このなんの草ともわからないような小さなくさぐさを愛しみ、たたえる言葉として「小草(おぐさ)」という言葉があります。
和暦の如月(西暦3月ごろ)の異名は小草生月(おぐさおいづき)、そして木の芽月(このめづき)です。まさに草木が萌え動くとき。小さなくさぐさがいっせいに芽生えることから、小草生(おぐさお)ふ、草の芽、草萌、下萌え、草青むなど、草の季語がたくさんあります。
一見、同じ緑にみえますが、よくみると種類はさまざま。数種の雑草たちが助け合い小さなコロニーを形成しているのもかわいくみえてしまいます。
このコロニーではアカカタバミ、スミレ、ホトケノザ、アメリカフウロ、ミチタネツケバナ、ハコベ。これだけの植物がわずかな隙間に暮らしています。まだ咲いていないのもありますが、花の色も黄、紫、ピンク、白とさまざまです。
雑草と呼ばれるくさぐさは、居心地のいい肥沃な土地を選ばず、あえて過酷な環境に適応することで生き延びてきた植物たちです。生命力が強すぎるがゆえに人間には邪魔もの扱いされがちですが、植物としての能力はかなり高く、ロゼット植物が多いのも特徴です。ロゼット植物は円形に葉を広げて冬の太陽の光を精一杯受け、踏まれることも覚悟の上の巧みなデザインです。
小さなくさぐさは木々の花より早く花を咲かせますので、ここからしばらくの間で、大地は花盛りになっていきます。小さな草花たちは夏に背の高くなる草や葉を茂らせる樹木の下で日陰になる前に、早々に花を咲かせます。あと数週間もすれば、色とりどりの花でにぎやかになることでしょう。足元を探すのが楽しい季節になります。今日はその中からいくつかご紹介します。
青い星のようなオオイヌノフグリは寒い時期から咲き始め、晩春まで長く咲きます。ミツバチの巣の中では女王蜂が産卵し、すでに最初の子供たちの子育てが始まっています。もうすぐ蜜や花粉に困らない季節に入りますが、まだ花が少ない季節、オオイヌノフグリの白い花粉はミツバチの幼虫に与えるご飯になっています。
キュウリグサ。勿忘草をさらに小さくしたような極小の花。ちぎったときにキュウリのような匂いがするから、というのが名前の理由。もっと愛らしい名前であればよかったのに、と思わずにはいられない可憐な花です。
ナズナ。春の七草のひとつ。ハート型の葉っぱのようにみえるのは、じつは種子です。
ハコベも春の七草のひとつ。
ホトケノザ。仏様の台座のような葉が何段もあり、別名、三界草とも呼ばれます。生命力が強く、初夏まで咲き続けます。
スミレは意外と過酷な環境に強く、都会でもあちこちに咲いています。
ミチタネツケバナ。一見、ナズナによく似ていますが、長角果と呼ばれる棒状の鞘の中に種が並んでいます。
コオニタビラコ。春の七草のホトケノザはこのコオニタビラコといわれていますので、葉は食用にできます。
ムスカリです。ゆっくりと息を吹き返していく樹木に比べて草花の成長はとても早く、ロクに葉もつけないうちに必死で花を咲かせようとします。小さいなら小さいなりに、1輪でも2輪でも。思わず微笑んでしまう愛らしい姿ですが、なんとか背の高い草が伸びないうちに、樹木が生い茂って日陰になる前に、という必死の戦略です。
あと数週間で、小さな草花たちは花盛りを迎えます。一方、樹木の方はようやく芽吹きを迎え、雨水の頃(2月下旬〜3月上旬)に降る雨を「木の芽雨」または「木の芽起こし」といいます。ポンっと音がしそうな芽吹きがあちらにも、こちらにも。
わが家では夏に水やりを忘れて枯らしてしまったと思っていたレンギョウの植木鉢を先日、さすがに捨てようと思い立ったのですが、土がカチカチに固まっていてどうしても鉢から抜けず、流しでドボドボ水を入れてみました。それでも抜けなかったので、諦めてそのまま放置していたところ、突然、芽吹きました!
枯木逢春(こぼくほうしゅん)といいますが、枯れ果てたようにみえた木にも芽が吹いていることに気づいたときの驚き。枯木逢春は人が絶体絶命の窮地や逆境を乗り越え、奇跡的に息を吹き返すことの例えとして使われています。冬の裸になっていた広葉樹たちも、いよいよ目覚めの季節です。
写真提供:高月美樹
出典:暦生活