立春をすぎたら、待たれるものは鶯(うぐいす)の声。昔の人々は季節を告げる最初の一声、初音(はつね)をなによりも大事にしました。
春来ぬと人は言へども鶯の
鳴かぬかぎりはあらじとぞ思ふ 壬生忠岑
春が来たと人はいうけれど、鶯が鳴くまでは春が来たとは思わない、と詠んだ古今和歌集の歌です。
季語では鶯の第一声を初音(はつね)といい、夏を告げる時鳥(ほととぎす)の第一声を一声(いっせい)といいます。それぞれたった二文字で、季節の始まりを明快に表現できるようになっています。
「ジュル」「ケキョ」など、はっきりしない鳴き声を「ぐぜり」といいます。「ぐぜり」は英語でsub songと呼ばれる「不完全なさえずり」です。若い鶯だけでなく、前年によくさえずっていた成鳥も「ぐぜり」から始まって、次第に美しい鳴き声になります。
ほんのわずかな「ぐぜり」でも、鈴がころがったかのような澄んだ音色は別格。私も今年は1月下旬には最初の「ぐぜり」を聴きました。朝の小鳥たちがにぎやかになる時間。他の小鳥たちのさえずりに混じって、ほんのわずか鳴いたと思うと、すぐどこかに行ってしまいます。
今のところはまだそんな感じですが、小さくぐぜっていた鶯が、春の深まりとともに次第に自信ありげになり、高らかに歌うようになるのは大きな楽しみです。最初から上手かったら、聞き飽きてしまうかもしれません。
鶯はソングバードと呼ばれる鳴禽類で、ライバルのさえずりを耳で学習する歌鳥です。そもそも春の鶯が鳴くのは求愛のため。メスは歌声で相手を決めるので、オスは必死でさえずりを聴き、より高度で複雑なテクニックを覚えていきます。
競争相手の多い地域ほど複雑なメロディになり、少ない地域のさえずりは単純化して、冴えなくなってしまうそうです。鶯の学習能力は古くから知られており、中世にはすでに鳴き声の優劣を競う「鶯合わせ」が行われていました。
昔の人は鶯のさえずりの良し悪しにかなり敏感だったようです。江戸時代、鶯の名所として知られるようになった鶯谷は「江戸の鶯は訛っている」と考えた寛永寺の住職が、京都から数千羽の鶯を運ばせて放ったことに由来します。
私が今まで聴いた中でもっとも記憶に残っているのは、滋賀県の山奥で聞いたさえずりです。びっくりするほど長く長く長〜く伸ばし、キリッと歌いあげる見事な美声で、この地域に代々受け継がれるさえずりの伝統を感じずにはいられませんでした。
「梅に鶯」といえば、相性のいいものの例え。日本の春を象徴するモチーフとして、しばしば歌に詠まれ、絵に描かれてきました。とはいえ、実際に梅の枝によく留まるのは「花吸い」と呼ばれるメジロたち。メジロは花を傷めずに上手に蜜を吸う、長くて細い舌を持っていますが、ウグイスは昆虫などを好んで食べています。警戒心は強いのでなかなか姿をみせませんが、ちょうど梅が満開を迎え、ハラハラと舞い散る頃、鶯の高々としたさえずりが響き渡ります。
鶯の異名としてもっともよく知られているのは、春告鳥(はるつげどり)です。
梅の枝にとまることから、匂鳥(においどり)という呼び名もあります。経読鳥(きょうよみどり)は法華経の聞きなしで、日本人なら誰でも知っている「ホーホケキョ」です。
歌詠鳥(うたよみどり)の名は、以下の『古今和歌集 仮名序』が由来です。
花に鳴くうぐひす
水に住むかはづの声を聞けば
生きとし生けるもの
いづれか歌をよまざりける −『古今和歌集 仮名序』
「黄鶯睍睆」の本来の読みは「こうおうけんかんす」ですが、本朝七十二候では「うぐいすなく」とシンプルでわかりやすい読みがなになっています。
黄鶯は中国や東南アジアに棲息し、日本に棲息していない高麗鶯(こうらいうぐいす)のこと。日本の鶯よりだいぶ大きく、ホトトギスに近い大型の鳥で、さえずりもホーホケキョとはまったく異なります。
蛍光色に近い黄色と黒のツートンカラーの鮮やかな羽を持ち、黄鳥、金羽、金公子、黄伯鳥など、中国ではさまざまに呼び名がありますが、皇帝や天子のシンボルが黄色であることから尊ばれ、春を告げる鳥として知られていました。
「睍睆(けんかん)」は見た目が美しいという意味の言葉ですが、これは黄鶯の鮮やかさを讃えたものかもしれません。本朝七十二候ではシンプルに「鳴く」としています。
日本の鶯といえば、もちろんこの「鶯色(うぐいすいろ」。なんともいえないスモーキーな暗緑褐色で、江戸時代に人気を博した色です。
初音を聴いて、心が躍る気持ちは昔も今も、変わりません。昨年もそっと耳を澄ませた、懐かしいさえずり。また新たな春を迎えられたのだ、という安堵と喜びが胸いっぱいに広がります。みなさまはもう鶯の初音、聴かたれたでしょうか。
出典:暦生活