ツバメは日照時間の長さを感知して渡りを開始するため、天候や気温に左右されず、毎年、同じ頃にやってきます。七十二候の春と秋に二回「玄鳥至(つばめきたる)」と「玄鳥去(つばめさる)」が入っているのはそのためです。日本ではちょうど桜が満開を迎え、花びらが散り出した頃に、ツバメの姿を見かけるようになります。
ところでツバメは毎年、どうやって元の巣へ戻ってくることができるのでしょうか。インドネシアやフィリピン、オーストラリアから数千キロの旅をして飛んでくるツバメたちは、日照時間の長さから、それぞれに渡りの時を感知し、敵に見つからないように一羽ずつ、海面すれすれに飛んできます。秋は子供たちを連れて集団で帰りますが、行きは単独です。
その方が敵に見つかりにくく、自分のペースで飛べるのです。渡りの時の平均で時速50〜60キロだそうですから、それだけでもかなりのスピードですが、天敵から逃れるときは時速200キロという驚異的な飛行能力を持っています。そんなツバメの速さにあやかって特急やバス、運送業のシンボルマークになっています。
燕の飛行には、太陽が重要な役割を果たしています。毎年ほぼ同じ時期に飛び立つので、海の上では太陽の位置から自分の目的地の方向を見定めて飛び、陸が近づくと見覚えのある山や川の地形を確認しながら、元の巣へ辿り着きます。通常、オスが2〜3日早く到着し、メスや若いツバメたちは後から到着します。繁殖力のあるオスは他のオスに古巣をとられてしまう前に奥さんを迎えるための家をしっかり確保する必要があるのです。
ツバメは到着すると休むこともなく巣作りに入りますが、古巣がある場合はわずか1日か2日で素早く修復して、産卵の準備に入ります。もし古巣がなくなっていたり、他のつがいに占有されていた場合、オスは巣があった場所の近くで、メスの到着を待ちます。そしてどうするかを話し合い、力を合わせて新たな巣を作り始めます。
近くに空いている古巣があれば、それを利用して修復し、なければ一から作ることもあります。一から作る場合は泥を乾かしながら少しずつ積み上げるので、1週間から10日間ほどかかるそうです。一から作るのは大変なので、できれば古巣を使いたいわけです。
そんなわけで古巣を使っているペアが昨年とまったく同じであるとは限りませんが、どちらにしても古巣は大事なもの。通常、小鳥たちの巣は使い捨てで、毎年、新たな巣を作り直しますが、ツバメの巣は修復が可能な頑丈な作りになっています。
ツバメの巣は湿った土と、枯れ草に唾液を混ぜて作る立派な土壁です。口に含んだ泥をひと粒ずつていねいに積み上げて作るお椀状の巣は、わずか数週間の子育てのためとは思えないほど丈夫で耐久性があり、漢代の歳時と農事を記した『四民月令』には「玄鳥巣作れば、則ち壁を塗る」とあり、人間もこの季節に燕に倣って土壁の修繕をする習慣があったことが書かれています。
ツバメが巣を作る頃、日本列島にしとしとと雨が降ります。土が乾いていれば、湿った泥がとれませんので、順当に降る春の雨がツバメの巣作りには大事な条件になります。江戸時代の絵を見ているとツバメは桜、そして雨と一緒によく描かれています。
私の通う田んぼでは、苗代のために先に掻いた田んぼに頻繁に泥をとりにやってきますが、川がコンクリートで護岸されている都会のツバメたちは枯れ草や泥が見つからずに苦労することも多いようです。
ツバメの子育ては約3週間。えさはほとんどが空中を飛ぶ虫です。ホバリングしたり、急転回したり、自在に空を飛び回り、子育ての時期には口いっぱいに何匹もの虫をくわえて戻り、多いときは1日に300回もえさを運ぶというから驚きです。
ツバメの巣はもっとも身近に見ることができる鳥の巣。じゃあじゃあと鳴いて必死で餌を求めるツバメの子の黄色いお口を見たことがある人は多いことでしょう。燕の子育ては1回目が終わると2回目、多いときは3回目もあり、先に巣立った若いツバメや、なんらかの事情で子育てできなかったツバメも親鳥を助け、ヘルパーとして参加することで知られています。
巣作りの場所として、人の出入りが多い高速のサービスエリアのトイレ付近はどこもツバメたちに人気がありますが、私は毎年、洗面所の鏡の上で育つツバメの巣を楽しみにしています。電気がついていて眩しそうですが、たしかに敵に襲われる心配はなく、洗面所のツバメは大勢の人々の微笑みを誘っています。
ツバメの子育てはわずか3週間です。できれば撤去せずに新聞紙を敷くなど、何かしら工夫して見守りたいものです。フン受けをつけるタイミングはツバメが警戒して巣を放棄しないように、抱卵してからの方がよいそうです。かわいい絵つきのフン受け型紙はこちらからダウンロードできます。
なるべく人の出入りのある場所を選んで巣を作るツバメは、長い年月をかけて人間と共生することを選んだ鳥。日本では昔から燕が巣を作ると家が栄える、商売が繁盛するとされ、農村でも害虫を食べてくれる益鳥として大切にされてきました。人間と燕はまさに共存共栄の関係です。
ツバメは田に苗代が作られるころ、人々の作業を見守るように空を飛び交います。江戸時代にはツバメの糞が肥料になると考えられ、田んぼにわざわざツバメがとまれる棒を立てる風習もあったようです。
親しくしている農家さんの家にも必ず燕がやってきます。巣が落ちないようにそっと板をつけてあげたりして、大切にしています。落ちていた卵の殻を手のひらにのせてみたら、こんなに小さいのかと驚きました。
ツバメは出入りが多いにぎやかな家や、ツバメを喜んで迎え入れ、古巣を残してくれている家に毎年通うようになるので、幸せな人の家を選ぶというのはあながち迷信とはいえません。ツバメを大切にしてきた人々がいたからこそ、ツバメは人間を信頼してくれるようになったわけで、ツバメはまさに「人と鳥の幸福な共存の象徴」です。
「玄鳥」の「玄」は黒を意味する言葉で、ツバメの古名はツヤのある黒を意味するツバクロです。よくみると真っ黒ではなく、メタリックな構造色で、光が当たると紫や青みがかってみえる、とても美しい羽です。
燕子花の字をあてるカキツバタは、ちょうどツバメの子が空を舞い始める頃に咲きます。濃い青紫の花びらが、羽を広げた子燕のようにみえます。自然界をよく観察してその重なりを楽しみ、花の名前にもしてきた昔の人の感性は、素晴らしいものだなと思います。
うちの田んぼも田植えの頃になると、ツバメが水田の上をいったりきたり、スイスイと気持ちよさそうに飛び回るのを楽しみにしています。ツバメの飛行能力は鳥の中でもっとも高く、トンボは虫の中でもっとも優れた飛行能力を持っています。トンボもツバメも踵返しが大得意。どちらも瞬時に方向を変えることができる特殊な能力の持ち主です。
トンボとツバメの追っかけごっこを眺めていると、それぞれ「蜻蛉返り」、「燕返し」と言われるように、互いに飛行能力を鍛えあげ、急転回のプロになった理由がよくわかります。
ツバメの姿をみかけるようになるのはちょうど桜が散り始める頃、柳が青々として風にそよぎ出す頃です。そして必ず雨が降ります。この雨は順当に苗を育て、ツバメたちに湿った泥を提供していることも、ちょっと想像していただけたらと思います。「燕が低く飛ぶと雨が降る」ということわざは迷信ではなく、低気圧で餌となる小さな虫が低く飛ぶためです。
出典:暦生活